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薩摩いろは歌(島津日新公いろは歌)とは

薩摩いろは歌を作ったのは、薩摩の聖君と呼ばれる島津忠良公です。

島津忠良公は、号を日新斎(じっしんさい)と言い、島津日新公と呼ばれることも多いです。

このため、薩摩いろは歌は、島津いろは歌、日新公いろは歌、島津日新公いろは歌とも呼ばれています。

島津日新公は、神道、儒教、仏教を窮めるとともに、文武両道で、薩摩の国を統一するとともに善政を施したといわれています。

この薩摩の聖君、島津日新公が、武士道を説くために作られたようです。

その内容は、現代社会においても、人の道を説く上で非常に参考になる、奥深い内容となっています。

薩摩の国、鹿児島県では、郷中教育でも教本として使われ、あの西郷隆盛公、大久保利通公等も学んだ内容です。

鹿児島県が輩出した偉人たちは皆この薩摩いろは歌を学んだといっても過言ではないでしょう。

世界中には多くの、格言・金言・諺がありますが、鹿児島県民としては、まずこの薩摩いろは歌を修めるべきだと思います。

まずは、一通り目を通してみて下さい。

薩摩いろは歌(日新公いろは歌)一覧

南さつま市 竹田神社

薩摩いろは歌(日新公いろは歌)の由来

いにしへの道

いにしへの道2

南さつま市 竹田神社 いにしへの道

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