薩摩いろは歌(島津日新公いろは歌)のえ
回向には人と我とをへだつなよ看経はよししてもせずとも
「死者の供養は敵味方をわけ隔てるな。読経はしても、しなくても良い。」
回向(えこう)とは、死者の仏事供養を行うことです。
また、看経(かんきん)は読経、つまりお経を読むことです。
ここでは、戦いで亡くなった兵士の供養は、敵味方の分け隔てなく、きちんと行いなさいと言っています。
そのとき、読経するしないは問題ではありません。
死者に対しては、敵も味方も、尊い命が奪われたのだから、敬意をもって、仏事を行うのが、生き残った者の勤めであることを説いています。
戦いにおいては、意見の違いにより殺し合いをしても、死んでしまえば敵も味方もなく、同じ人の死として尊く弔う必要があります。
同様に、お互い戦った者同士でも、戦いが終われば同じ人間同士なのだから、理解しあえるはずです。
世界では、今でも内戦や、テロが多発しています。
戦争は、お互い大義名分のもとに行っています。
双方が自分の正当性を主張しあいます。
そして、戦争という暴力のもとに人の尊い命が失われていくのです。
戦争で家族を失った人は、敵を恨み、復讐をします。
復讐されて家族を失った人は、また敵を恨み復讐し、負の連鎖が続きます。
結局戦争や復讐は、人を悲しませることにはなっても、問題を解決する手段にはならないのです。
人は皆頭の中ではそれを理解しているのですが、いざ身内を殺されると、とても冷静ではいられなくなるのだと思います。
でも、誰かがこの連鎖を断ち切れば、世界の平和は必ず訪れるのだと思います。
その誰かは、現在争いをしている人の中に必ずいるはずです。
そして、近い将来全世界に平和が訪れると信じたいものです。